夜のSHR。

一貫性は求めない。

渋谷に放り出された。

赤ワイン片手に。
放り出された。

才能も実力もない自分が、大学に入ってしまったばっかりに出会ってしまった(それはもう事故)、途方もないモノ(というか、なにかそういう固有名詞っぽいもの)、というカテゴリがある。
数多いわけでもないその中から、数にすると2が、そこに存在しますよって言われたら。
どうしますか。

一回、お金がないからって見送ったことがあります。懺悔します。

ある意味では、自分の能力の無さを呪いに呪う演奏だった。
バカみたいに全部楽しかった。
私はそもそも調性をあまり長く聴けなくて、それは退屈だと思ってしまうからなのだけれど、演奏家は当然そのポテンシャルを最大限に具現化して伝えてくれるわけで、そこでやっと私はその曲のポテンシャルを理解したのだった。
私の曲を聴いた人が奏者さんを褒めるわけだ。
当然だ、という重みが、そのままの質量で響いた。

なんかこう書くとひねているみたいだけれど、そうじゃなくって、
つまり私は咽び泣きながら赤ワイン(サービスドリンクでいただいた、プラカップに入っている渋めの)を飲みながら帰っているわけで。
うわああああ音楽うううう!!!みたいな。
音楽という情報を浴びせられて、浴びせられて、浴びせられた。
最初はぼちぼち、こんなすごい人に習ってろくに一曲吹ききれなかった自分、とか、こんなすごい人に旋律のひとつもない曲を渡していた自分、とか思わなくもなかったけれど。
そういうんじゃなくて。
言語化できなくなるような、膨大で密な生情報をこれだけ発信できる人って、すごい。
有り体に言えば、多幸感。
理解されなくてもいい喩えとして、地獄。
音楽に触れると思ってしまう。
音楽に触っている人を見ると、音楽に触れると思って、そんなことは勿論容易にはできないのだけれど、でもこの人たちは確実に触っている、それを見ている自分。

うわーーーーーってなりながら書いたのですが、
欲を言うならばいつかまた日本でやってほしい。そしてその時はなにか大きく告知を打ってほしい…、打たなくても有名になっているか。
いつか本番で使ってもらえるパート譜を作ることを夢見て、明日からも仕事に励みます。たぶん。