夜のSHR。

一貫性は求めない。

合わせ

新曲の合わせをしています。

作曲者の仕事は楽譜を書くまでであって、その先は奏者さんの領域なので、つまり私はもう何もすることが無いんですけどね。

 

めっちゃ、怖いです。

 

正直、強く言えないのもあり、また欲求を奏者さんにどう伝えるのが的確なのか(たぶん、嫌な気持ちにさせないかっていうのもある。何にしても私には実践経験が少なすぎるのだ)わからず、ふわふわと適当な(雑多な、に殆ど同義)ことを言って逃げている。

奏者さんはどんな情報が欲しくて、どんな情報がいらないのだろう。

演奏するのにイメージは必要なのか?何を言えばいいのか?私の言葉が絶対的正解になってしまわないか?

 

うん、怖いんですよ。

 

わかんないんですね。私は奏者じゃないんですよ。

もし私が奏者だとしたら(これでもエレクトーンを趣味としている)こんなこと聞きたい、こう言われたらこうする、とかはね、まあ無くはないんですけど。

私はどうしようもなく異端なのかもしれない、と思う。

私はもともと「他人の曲を弾く」っていうことに慣れていないし(嫌いなわけではない、嫌いなのはエレクトーンで生楽器を再現せんとすること)、自分がこうだと思ったら曲げないし、音楽なんてどう転んでも自分のためにしかやってないし、なんていうかさ。

今になっても、良い音楽とはなにか、わかんないんですよ。

大学に入って増えたどうでもいい嫉妬心やしがらみがどうしようもなく聴取体験を歪めるし、私は自分の音楽が何なのかもわからないし、それを他人に押し付けて、そう、結局企画書だけ提出して実行は他の人に任せるというゴミクズなのだ。

少なくとも、自分の作曲行為に関しては、そういう、どうしようもない責任逃れとしか思えない節がある。だからといって自作自演したいわけでもないのだけれど。

 

怖いんですよ。

 

私の曲が聴衆にどう受け取られるかも、もちろん怖い。

でも、きっと私が一番怖いのは、奏者の方々にね、私が、私の曲が、嫌われたらもうどうしていいかわからないんです。

たぶん聴衆には嫌われてもよくて、それはつまりその人がもう私の曲を聴かなきゃいいだけと言ってしまえばそれまでで、それは私の中で耐えられる/辛くない部類の出来事なんです。

奏者さんもね、そう言ってしまえばそうなんだよ。演奏してくれた奏者さんのことは大好きだけれど、勿論音にも惚れ込んでいるけれど、でも結局私はその楽器においてどんな音が素晴らしいのかもわからないし、上手い下手に言及できるほど何かを知っているわけではなくて、つまり個人的に、超個人的に好きだなって思うだけで、世間一般でそれがどうなのかはわからないから、世間体を気にしていると言うにはブレている主張。

世間体を気にしているわけではないのだからそれは至極当然なのだけれど。

嫌いな曲を演奏してほしくない、のかも。

私は先に述べたようにどうしようもなく我儘で、あんまり好きじゃない曲を演奏するという経験がなくて、つまりそれほど器用でもなくて、そういう場合どう折り合いをつけたらいいのかわからなくて、その意味では熱血で、暑苦しく、だからこそその熱量を奏者に求めている。そして、それが受け入れられなかった時の絶望的な溝を知っている。

そうなってしまったら、きっともう、演奏とかいう次元ではない、はず、なのだ。

 

誰も私の曲など好きではない。聴衆も、先生も、奏者も、例外はひとつもない。

その事実がどうしようもなく悲しい。

そしてそれをどうすればいいのか、どうすれば私はすっきりするのか、わからない。

 

たぶんもう、演奏当日までわからないし、私はうじうじし続けるし、終わってからもくよくよし続けるのだろう。

それでも、やっぱり音になるとものすごく嬉しくて、私は私が聴きたい曲を書いているからすなわち聴きたい曲を聴けるわけで、それはとてもわくわくすることで、その経験を何度でもしたいから私はまた曲を書いてしまうのだと思う。

大学1年の時に同期が言ってた、音になる瞬間が楽しくて、だから作曲(などという行為、という貶めた意味合いを彼は含んでいたと思う)がやめられないんだ、という言葉が今更になってじくじくと膿んだような感触を与えてくる。

こんな死にたくなることを文字通り死ぬまで続けるのだ。

誤解しないで欲しい、絶望しているけれどそのことを少し楽しみにも思っている。

 

あー結局まとまっていない。

でもね、すごく楽しくて、心臓がふわふわ浮くような、そんな感触を覚えているということをうまく言葉で伝えられないんだ。

感謝しても嫌われる時はとことん嫌われるし、私の人間性のなさ(メンタリティの弱さ含めて)はどうしようもなくて、それでも、ただただ感謝したいんだ。

 

コミュ障マックス。